17世紀イギリスの宗教事情は実に複雑でして、国教会・カトリック・ピューリタンその他の宗派がなぜかくもお互いに争ったのか、日本人には理解しがたいものがあります。
そんな時代に一石を投じたのがロックの『寛容についての書簡』。
反乱者や犯罪者は、いかなる教会の人であろうと処罰されねばならない、しかしそうでない人々は平等な条件に置かれるべきなのです、と前置きした上で。
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(前半略。信仰の自由は)
長老派にも独立派にも再洗礼派にもアルミニウス派にも、クエーカーにも、その他の派にも、同じく自由に許されるべきであります。
いや、もっと心底をうち割ってはっきり真実を述べてよければ、異教徒でもマホメット教徒でもユダヤ人でも、その宗教のゆえに国家の市民的権利を奪わるべきではないのです。
(『世界の名著32 ロック ヒューム』中央公論新社 1980 396ページ)
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よくぞ言ってくれました。特に最後の一行。「イスラム教徒もユダヤ教徒も差別してはいけない」なんて、この時代のキリスト教徒にはなかなか言えることではありません。
対照的なのがホッブズ『リヴァイアサン』です。異教徒のみならずキリスト教他宗派をも「暗黒の王国」と呼び、批判とも呼べない罵倒を並べたホッブズと読み比べれば、ロックの寛容論はまさに画期的です。
名誉革命自体が始まったのは1688年であり、この書簡よりも前です。ただ、革命後につきものの虐殺や独裁が、名誉革命に限って起きなかったのは、ロックの思想がいくらかなりとも貢献したのではと思うのです。