防衛大学校教授の方による、『春秋左氏伝』中の平和会議についての論文です。
向戌が提唱した「弭兵」を、「単なる不戦平和運動ではなく、諸国の軍備撤廃又は制限によって宋の安全保障をはかろうとする戦争抑止戦略であった」と捉え、「戦争の抑止に対して、一時的な効果があったことを認めなければならない」と結論しています。
具体的には弭兵の会から十二年目の前534年に、加盟国であった楚が同じく加盟国の陳をほろぼしたわけです。十二年の平和
副題には「批判」とありますが、おおむね向戌の先進ぶりを高く評価する論調です。平和主義というものも、しっかりした準備と実績にもとづいていれば、わかってもらえることもある。やる気が出てきました。
向戌が提唱した「弭兵」を、「単なる不戦平和運動ではなく、諸国の軍備撤廃又は制限によって宋の安全保障をはかろうとする戦争抑止戦略であった」と捉え、「戦争の抑止に対して、一時的な効果があったことを認めなければならない」と結論しています。
具体的には弭兵の会から十二年目の前534年に、加盟国であった楚が同じく加盟国の陳をほろぼしたわけです。十二年の平和
副題には「批判」とありますが、おおむね向戌の先進ぶりを高く評価する論調です。平和主義というものも、しっかりした準備と実績にもとづいていれば、わかってもらえることもある。やる気が出てきました。