『常葉大学教育学部紀要』二〇一九年三月。
中国古代の歴史書、春秋三伝を分析し、絶対平和主義に至る思想を抽出した、すばらしい論文です。
以下、目についた発言や記述を引用します。出典・年代・発言者は今回は省略で。
「人を殺すことで自分が生きのび、人を亡ぼすことで自分がながらえるようなことは、君子はしないのである」
「兵車を伴う会は四回あったが、(そのうちで)大戦は一回もなかった。民を愛したからである」
「民は君の本である。その民を率いて死に追いやるのは、正義ではない」
「他国を講和させるには礼によるべきで、乱(武力攻撃)によってはならない」
「「ああ、我々(楚・晋の)両君の仲が悪いだけだ。百姓に何の罪があろうか」」
「世が乱れてくると、諸侯は貪欲になり、侵略にうつつをぬかし、わずかな土地を争って民衆を死に追いやり」
「これから先は、戦争が少し減っていくでしょう。(略)もし晋が楚に謹んで礼を行い、言葉遣いに配慮して楚を和平にいざない、それで諸侯を安心させられれば、戦争はやめられるでしょう」
……最後の発言は趙文子という晋の執政によるものです。彼はこの発言の二年後(紀元前五四六年)に、宋の向戌が提案した平和会議に賛同し、「これから先は、戦争が少し減っていくでしょう」との発言を実現させました。
「春秋に義戦なし」ともいうように、上記のような平和主義者ばかりではなく、戦争を賛美する言説も春秋三伝には多くありますが、長くなるので次の機会に。
それにしても、上に挙げた平和主義者たちの言葉は、読み返して記憶するに値します。二十一世紀の中国や日本の現状は、彼らの言葉に恥じないものでしょうか。