『経国美談』後篇。阿善の国で、「純正党」(民主派)と「乱党」(平等派)が争った時の挿話。
阿善にはかねてから「専制党」と「曖昧党」がいて、「純正党」と政権を争っていたわけですが、「乱党」は「純正党」が共通の敵なのをいいことに、イデオロギー的には真逆であるはずの「専制党」や「曖昧党」の取り込みに成功してしまいます。新興勢力の「乱党」を甘く見ていた「純正党」はこれに手を打てず、連立政権に権力を奪われてしまいます。
二大政党が拮抗した時、第三党第四党が政界の行く手を決める。民主主義社会では珍しい話でもありませんが、憲法も議会もない時代にそれを描いていた『経国美談』は時代の先をいっています。
で、何が言いたいのかというと。民主主義社会とは民主主義者が百パーセントを占める社会ではなく(それは全体主義社会です)、非民主主義者が一定の割合を占め、それを許容する社会であるということです。
だからといって何の策も講じなくていいわけではなく、民主主義を守ろうとする側はテクニックを駆使して、非民主主義者に政権が渡るのを避けねばならない。作者は(あえて実体化)そういうことを書きたかったのではと思うのです。
阿善にはかねてから「専制党」と「曖昧党」がいて、「純正党」と政権を争っていたわけですが、「乱党」は「純正党」が共通の敵なのをいいことに、イデオロギー的には真逆であるはずの「専制党」や「曖昧党」の取り込みに成功してしまいます。新興勢力の「乱党」を甘く見ていた「純正党」はこれに手を打てず、連立政権に権力を奪われてしまいます。
二大政党が拮抗した時、第三党第四党が政界の行く手を決める。民主主義社会では珍しい話でもありませんが、憲法も議会もない時代にそれを描いていた『経国美談』は時代の先をいっています。
で、何が言いたいのかというと。民主主義社会とは民主主義者が百パーセントを占める社会ではなく(それは全体主義社会です)、非民主主義者が一定の割合を占め、それを許容する社会であるということです。
だからといって何の策も講じなくていいわけではなく、民主主義を守ろうとする側はテクニックを駆使して、非民主主義者に政権が渡るのを避けねばならない。作者は(あえて実体化)そういうことを書きたかったのではと思うのです。