デリダを批判したら、訪問者数ががくっと減ってしまいました。お一人でも見て頂ける方がいる限りではこのブログを続けるつもりではいますが、少々考えさせられるところはありました。
もしかしたら、このブログ主は著名人をけなすのが趣味のあまのじゃくなのではないかと、思われたかもしれません。誤解をとくために、私の方針を述べてみます。
価値と評価を縦横の軸にとると、書物やその著者は次の四つに分類できるかと思われます。
1 高い価値を持ち、高い評価をうけている書物や著者。
2 高い価値を持つが、低い評価を受けている書物や著者。
3 低い価値を持つが、高い評価を受けている書物や著者。
4 低い価値を持ち、低い評価を受けている書物や著者。
私が主に扱うのは2と3、つまりそれまでの評価が不当である書物や著者です。
1をほめたり4をけなしたりするのは、無意味ではないにしても屋上屋を架す行為です。そして1をけなしたり4をほめるのが本当のあまのじゃくであって、私はそれらのどれでもありません。
分類2については、村井弦斎・木下尚江をはじめとする明治大正の平和主義者についてしばしば論じてきましたし、発表した論文もほぼその分類です。一番やりがいのある仕事といえます。
分類3については、大江健三郎・小林秀雄・石原慎太郎(高い評価でもないですが、実際の価値に比べれば高すぎです)・柳田国男・ネグリ・ハートらをこれまで主にブログで実証的に批判してきました。反論を受けたこともあり(可能な限り再反論してきました)、気持ちのよくなる仕事とはいえませんが、決してやっかみや著名人嫌いからではありません。
核開発にまったく賛成していた人が無反省なまま原発反対運動に転じたり、ヒットラーや特別攻撃隊を礼賛していた人が戦後になって反省などしないまま戦争への抵抗者を名乗るような風潮を、なんとか変えたかったからです。そして、昨日そのリストにデリダが加わったわけです。